東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University 東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University 東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University 東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University
 
 
 
 

研究者、駈ける #14 研究者、駈ける #14

哲学からの根本的な問いが、科学技術をつよくする。森 一郎 東北大学 大学院情報科学研究科 人間社会情報科学専攻 教授哲学からの根本的な問いが、科学技術をつよくする。森 一郎 東北大学 大学院情報科学研究科 人間社会情報科学専攻 教授

宮城県美術館の存続を求め、
一人の哲学者として立ち上がる。

東北大学川内キャンパスに隣接する宮城県美術館は、国内外の作品展示だけでなく、さまざまな表現活動を体験できる場所として、1981年の開館以来多くの市民に親しまれてきた。本館の設計は前川國男(1905-1986)。国立西洋美術館をはじめ多くの建築群が世界文化遺産に登録されている建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)に師事した前川は、日本のモダニズム建築をリードしてきた建築家である。

開館40周年を2年後に控えた2019年11月、美術館の移転案を宮城県が公表、これに対し、存続を求める市民グループ、建築家、芸術家らは「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」を結成し、意見書・要望書の提出、県内各地での出前講座やシンポジウムの開催など活発な活動を展開した。2020年11月、県による移転方針の撤回で問題は決着をみたが、それまでの1年間、存続を求める運動の渦中にいたのが東北大学大学院情報科学研究科の森一郎教授だ。

2020年1月、同じく哲学を専門とする野家啓一東北大学大学院文学研究科名誉教授らとともに「宮城県美術館の移転計画中止を要望する有志の会」(東北大有志の会)を立ち上げると、賛同者は3週間足らずで150名にまで広がった。同月、県に対し移転計画中止を求める要望書を提出、さらに2月には「公共性と美術館の未来」と題するシンポジウム(主催:東北大学日本学国際共同大学院)を開催し、理性の公的使用という哲学的総論から、美術館の公的・歴史的な役割、前川國男建築の特長にいたるまで、活発な議論が展開された。 こうした森教授の活動の根底には、ある哲学者の言葉があった。「建てるとは住むことだ」。森教授が長く研究に取り組む20世紀ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの言葉である。

公共の関心事をみんなで議論することは、
哲学者にとって、哲学的、政治的な実践。

「建てるとは住むことだ」。これは、1951年にドイツ建築家協会で講演を行った際のハイデガーの言葉だ。第2次世界大戦で荒廃した都市の復興に取り組む建築家たちに向けて、ハイデガーは「ただ建てようとするのではなく、人間の住む世界を築き、そこに暮らすことが肝心」と説いたのだという。森教授は、宮城県美術館の移転計画公表から撤回までの1年を、ハイデガーの哲学に触れながら次のように振り返る。

「ハイデガーによれば、さまざまなモノやコトを取り集める場としての建物には、広い意味での“公共性”が備わっている。公共の場所としての建物に、歴代の人々が集うことで、歴史を稔らせていく。つまり、公共性は歴史性の奥行きを持つということです。古くなった建物は壊し、新しくまた建てるというのではなく、美術館という具象的な物に思いを寄せ、世代を超えて共有していく。そのための自由な議論の場が、美術館の移転計画をきっかけに開かれたことは、私にとってとても愉しい経験でした」。

ハイデガーの哲学は、世界の内に存在しているという事実(世界内存在)を出発点としている。「哲学にもいろいろな種類、いろいろな可能性がある中で、世界について地に足をつけた形で議論できることもまた哲学だ、ということをハイデガーは示してくれた」と話す森教授。公共の関心事をみんなで議論することは、ハイデガーの哲学を引き継いでいこうとする哲学者にとって、優れて哲学的、政治的な実践でもあったのだ。

アーレントの言葉である“世界への愛”を、
震災の経験を通して学び直すことができた。

ハイデガー研究の流れの中で、森教授が注目するもう一人の哲学者、それがハンナ・アーレントだ。哲学の研究では、それぞれの哲学者の古典を徹底的に読み込み、その中で見えてくる哲学の世界を踏まえ、現実的な課題と向き合う。「哲学と現実の問題とがつながっていることを強く実感させてくれたのがアーレントだった」という森教授の前に、大きなインパクトとして立ち現れたのが2011年3月の東日本大震災だった。巨大津波の襲来や福島第一原発の事故は、人びとの生活の場である世界がいかに脆いものであるかを示した。

「アーレントの言葉に“世界への愛”という言葉があります。身近にあるものに愛着を持ち大事にする、あるいは、みんなで共有し継承しているものに対して関心を持ち次世代に伝えていく、それが“世界への愛”だということを、震災の経験を通して学び直すことができました」。

一人の哲学者として、森教授は、科学技術というものに対し根本的な問いを発し続ける。それはなぜか、そしてどんな思いがあるのだろう。

「批判なくして前進がないことは、学問の世界の中では当たり前のこと。問題点を指摘することは、指摘された側にとってもプラスなのです。科学技術というものに対し、自分の問題として哲学的にアプローチし、積極的な意味での批判を行う。哲学の研究者が情報科学研究科の一角を占めているのはそのためであり、とても大事なことだと私は考えています」。