東北大学大学院情報科学研究科 シンポジウム「情報科学」から「交通ネットワーク」を考える

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Q&A

講演のテーマ・内容に関するQ&A

各講演に関してお寄せいただいた質問に講演者が回答しております。
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リニアは中国の上海で10年以上実用化されているので、すでに一定程度の安全性は確保されているのではないでしょうか? 慎重意見や一種のブレーキは必要ですが、残すことや今までのものを使うことに固執しすぎれば、人間の成長は止まり、やがて滅亡するのではないでしょうか?
上海でドイツ式のリニアが使われているのは確かです。しかし、ドイツが中国に輸出したのは1件だけで、ドイツ自体はリニア事業から撤退してしまいました。ドイツが止めた理由の一つは、実験中に事故を起こして死者も出したことです。上海のリニア鉄道は、ドイツ式の常電導ですからわずかに浮いているだけです。設備も、日本式の超電導のまさに浮遊しているようなものとは違います。日本はそれよりはるかに大規模なものを、日本列島を縦断してやろうとしている。それが何を意味するのか、じつは誰にも想像できていないのではないでしょうか。なるほど、新しいことは止めてしまえと言うと、行き詰まって滅びてしまうのではないかという危惧はあるでしょう。停滞は避けたいですし、つねに新しいチャレンジを共同でやっていくことは重要です。ただ、どこまでやっていいかということは、専門家ではなく、みんなで決めなければならないと思います。20年も建設し続ける巨大事業の場合、うまく行かなかったから止めればいいというわけにはいきません。使い続けていけば、当然メンテナンスも必要になります。たとえば100年使い続けるというのはどういうことかを考えたときに、そのこと自体、非常に困難を抱えていることを見落しているところに問題があると思います。
情報社会の進行は、個人としての自由な時間や心の余裕を無くしてしまうのではないでしょうか? 社会的共同体と個人の自由の両立には何が必要でしょうか?
私にもとくに名案があるわけではありませんが、難しい問題について考えることが、まず大事です。考えても仕方がない、ではなく、考えるということ自体、すでにそこに余裕があるのだと思います。それはある意味、いつでもどこでもできます。リニア事業の推進派の人たちは、「リニアはトンネルばかりで真っ暗だから何も見えなくてつまらない」という声に対して、「いや、瞑想はできます。サラリーマンには瞑想が必要です」と言ったという話がありますが、そういうことはいつでもどこでもできる。それは自分の家でもどこでもいいので、特別な設備はなくてもいいのですが、もちろんあってもいい。私の持論ですが、大学というのはじつはそういう場所です。つまり、社会全体がとにかく前へ進もうとしている中で、そうではなく、のんきにゆっくりじっくり立ち止まって考える人たちと時間を共にするゆとりのある場所が、大学です。そういうキャンパスでこそ自由な時間が大いに享受できると思うのです。
GSIS