講演レポート
ゲノム情報の集積と解析で病気は防げる?
大規模ゲノムコホート研究における情報科学の役割
木下 賢吾 教授(応用情報科学専攻)
よく生きるとは?
「よく生きる」にもいろいろあると思いますが、AIに「よく生きるって何ですか?」と聞いてみると、「健康」というのが非常に重要なファクターであるということが出てきます。とはいえ、情報科学と健康はあまりつながってはいません。ただそれは意外と自明なことだと私は思っています。「情報薬」という考え方があります。情報そのものが薬のように作用して、体調や精神状態に変化をもたらすという考え方です。最近は、デジタルの健康ツール、スマホに歩いた量などが普通に出ます。今日は100歩しか歩いていないとちょっと心がチクチクしたり、今日は1万歩を超えたからビールがうまいとか、そういうふうにしてフィードバックがかかることでしょう。こういったものもある意味情報の力ですし、もう少し精細にやると、バイオフィードバックや、あるいはナラティブ・メディスンといって物語などを利用して患者の精神的な状態に積極的にアプローチするといったものもあります。
こういうふうに情報科学は健康ととても密接に関係しています。ただ一方で、「エビデンスは大丈夫ですか?」というのがここではとても重要です。病気と遺伝子といった話を聞いたことがあると思います。近年では、業者さんに依頼すると、唾液の中に含まれるDNAを調べて、ゲノムから見たときに危ないと考えられる病気を教えてくれます。私も3つの業者さんでやってみました。すると、届いた結果は3社3様でした。渡しているゲノムは一緒なのに、これはどうしてなのだろうと少し詳しく調べてみました。そこでわかったのは、こうして得られる情報の中には、エビデンスレベルの非常に低いものがあるということです。そうした情報が簡単に手に入る時代になっているというのは、とても危ないことだというふうに感じます。
ゲノムのある場所がどういう病気と関わっているかということを調べ、その研究をまとめたデータベースがあります。それを見ると、全体に対し日本人のエビデンスは4%を切るぐらいしかありません。つまりゲノムの変異を見たとき、そこからどうこう言えるほどのエビデンスを日本人はほとんど持っていないのです。欧米人に関しては相当研究が進んでいて、今欧米ではかなりゲノムベースメディスンというのがまことしやかに社会実装されようとしています。日本でこれやろうと思ったとき、まだできていないというのが現状だと思います。
ゲノムコホート研究とは?
Missing Heritability(失われた遺伝子)という言葉があります。遺伝子変異と疾患をつなぐエビデンスが圧倒的に不足していることから、ゲノムだけでは説明できない部分も当然あります。そこで求められるのが、環境要因も考慮しながらゲノムの変異をきちんと理解するためのエビデンスを蓄積することです。このことが今世界的に言われていて、大規模前向きゲノムコホート調査というのが世界のトレンドになっています。
日本では、我々が今やっている15万人というのが最大規模のゲノムコホート調査です。欧米では50万人とか100万人といった規模の前向きゲノムコホート研究が行われています。ここでいう前向きのコホート研究とは、健康な方々を集めて多様なデータを収集し、その後の10年、20年、30年を追跡するという調査です。そうすると、病気になったときに、ずっとデータをとっているので、どういう行為あるいはどういう環境にあるどういうゲノム要因が、この方が病気になった原因だということをきちんと突き詰めることができる、ある意味唯一のデザインだと言われています。
これ以外にもう一つ、後ろ向きゲノムコホートというものもあり、病気になった方を病院でリクルートして、「昨日どうでした?」というように思い出しをしながら遡るということをします。この場合、思い出しバイアスが強く働くというふうに言われていて、やはりできるだけ客観的に、前向きに集めようということが今世界的に試みられています。
東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)
東北大学で進めている東北メディカル・メガバンクプロジェクトは、東日本大震災の後の復興プロジェクトとして始まりました。復興を進める際には、今どのように健康で苦しんでいるのか、どうサポートを入れればよりきちんと復興が進むのかを判断するため、健康調査が必須になります。それと合わせてやらせていただければ、非常に効率よく前向きゲノムコホートをやることができるだろうということで、東北大学の医学系研究科を中心にこのプロジェクトが立ち上がりました。設立当初から私はこのプロジェクトに関わっていますが、それは言い方を変えると、情報科学研究科の人間がいないとプロジェクト自体が成立しないということでもあります。
調査の方法ですが、「地域住民コホート」と「三世代コホート」という2つのコホートを作り、トータルで15万人の方々の協力を得てやっています。「地域住民コホート」に関しては、一般の健康調査に来てくださる方々ということで、基本はランダムサンプリングで、できるだけ幅広くいろんな方に入っていただくというものです。世界でも唯一のデザインになっている「三世代コホート」では、妊婦さんをまずリクルートします。妊婦さんですからお腹の中にお子さんがいます。さらにお兄ちゃん、お姉ちゃんにも参加してもらう、おじいちゃん、おばあちゃんにも参加してもらう、旦那さんにも声がけして旦那さんの方のおじいちゃん、おばあちゃんにも入ってもらうということをやって、3世代のゲノム情報を収集し、家族継承性も見ながら、健康情報をより確実なエビデンスにしていくためのデザインとしています。
調査項目については、採血はもちろん、普通の人間ドックでも見てもらえないほど詳細な検査を実施しています。心電図や目の検査、歯の検査、認知機能検査、人によってはMRIの検査もやっています。子供に関しては発達の状態を見るような調査をやったり、子供の近視が社会問題になっているので、視力検査なども慎重にやらせていただいています。こうした検査以外にも、自治体との連携により、母子健康手帳、学校検診やがん登録、小児慢性疾患の登録など、公的なデータからもきるだけ漏れなく、疾患になったイベントを取ろうというふうにやらせていただいています。また、答えるのに1〜2時間かかるような分厚い調査票がありますが、これにもみなさんからきちんと回答をいただいており、基本は、いかに参加者の方との間に信頼関係を作り、データを収集するのかにあると思います。
「地域住民コホート」と「三世代コホート」という2つの独立したコホート集団で調査を行うのは、エビデンスレベルを上げる上で必須のステップです。また、一方のコホート研究から何か新たな発見があったときには、もう一方のコホートで必ずバリレーションを行うようにしています。
我々のコホート調査で特に重要なところは、同じ人について複数回データを取っているという点です。世界的に見ても、この規模のコホート調査で2回目のデータを取っているというのは他にありません。これまでの予備的な解析では、集団として見た変化と、個人として見た変化にはかなりの違いがあるということがわかっています。それだけ個人差が強くあるデータということなのです。こうした認識に基づき、現在3回目の調査を開始しているところです。
未来型医療を目指して
大規模な前向きゲノムコホート調査の先に我々が見据えているのは、ゲノムに基づいた医療、言い方を変えると「個別化医療」と「個別化予防」です。病気を発症したとき、ゲノムの構成成分を調べることによって、あなたはこの病気のときはこの薬を飲みましょう、あるいは、あなたは別に薬を飲まなくてもちょっと生活習慣を直すと治りますよ、というようなことをきちんと正確な情報として伝える。そうすることによって治していくということを、個人ごとに変えながらやりましょうというのが「個別化医療」です。一方、「個別化予防」は、なんか今日調子が悪いなと感じたときに、あなたのその調子の悪さだったらこの辺を気をつけた方がいいんじゃないか、食べ物にしてもそうですし、運動にしてもそうですし、そういうことをちょっとずつ個人ごとに合わせて調整をしていこうというものです。
我々のゲノムコホート調査では、お預かりしたデータを複合バイオバンクとして整理し、必要に応じていつでも出せるようにしています。データの構造化を行い、できるだけ解析レディな形で最後にデータをお届けできるようにというところにも、情報科学の力が入っています。また、公的バイオバンクとしてデータを公開することが必須になっているので、オープンデータに関してはjMorpというところで、日本人の基準ゲノムという日本人の参照パネル以外にも多くの情報を公開しています。
ゲノムコホート調査というのが次世代の個別化医療や個別化予防、いわゆる未来型医療の確立の鍵になると我々は信じています。単に研究としてゲノムコホート調査に取り組むだけでなく、エビデンスに基づいた社会実装も進めています。宮城県登米市では、オムロンヘルスケアやカゴメと協働し、食事でナトカリの状態を変えるという取り組みを進め、市民の血圧の値に著しい効果をあげています。次は糖尿病の予防に関するエビデンスを出そうと計画中で、産業界等とも協働しながら、社会実装として個別化医療、個別化予防に取り組んでいきたいと考えています。今後は、未来型医療創生センターという組織のもと、病院も巻き込みさらに拡大した活動を進めていくことになります。情報科学研究科もこの中の1ユニットとして、重要な役割今後とも担っていくことになります。
バイオ統計学の新展開 — 統計数理があなたを診る!?
医学系研究の新たな複雑系データのための統計モデリング
荒木 由布子 教授(システム情報科学専攻)
バイオ統計学の近年の潮流
バイオ統計学という言葉は、一般の方にはあまり馴染みがないかもしれません。英語では「Biostatistics」とよばれ、私がかつて所属していた久留米大学バイオ統計センターでは、「ライフサイエンスに関連する数理的な研究」と定義しています。具体的には、ヒトの健康と環境要因の関連性の探究や、根拠に基づく医療の開発・評価、遺伝子やタンパク質の機能解析、薬剤開発や個別化医療の設計・実践など、多岐にわたる領域が含まれます。
近年、バイオ統計学の国際学会や主要な学術誌で注目されているトピックを調査した結果、以下の6つが主な研究テーマとして挙げられます。
- 臨床試験
- 生存時間解析
- 疫学
- プライバシー保護
- 機械学習とAI
- ヘルスデータサイエンス
これらのトピックの中には、古くから存在するものもあれば、近年特に注目されているものもあります。
臨床試験では、新薬や治療法の有効性・安全性を評価するための研究が進んでおり、特に「適応デザイン」や「リアルワールドデータ」の活用に焦点が当てられています。
存時間解析においては、従来の静的な解析手法に代わり、新しいデータが得られるたびに予測を更新する「動的予測モデル」が研究されています。また、因果関係を探る「因果推論」には多くの統計モデルが用いられています。
疫学では、ビッグデータ解析やリスク評価が進展しており、COVID-19など感染症に関するモデルも高度化しています。
プライバシー保護の分野では、データの匿名化や差分プライバシーの技術進展が重要な課題となっています。
機械学習とAIの分野では、特に高次元データの解析が盛んで、個別化医療に不可欠な技術として位置付けられています。脳画像解析のための「ニューロイメージング」も注目されています。
ヘルスデータサイエンスの領域では、複数のデータソースを統合し、精密医療や個別化医療に応用する手法が研究されています。
日本では、これらの技術に関する教育機関や研究機関がまだ十分に整備されていないため、国際的に遅れを取っていると指摘されてきました。しかし、近年はデータサイエンス関連の学部設立が進んでおり、ヘルスデータサイエンス分野の発展も期待されています。
注目すべき潮流
専門誌で言及されている重要な潮流として、まず挙げられるのが機械学習の台頭です。疾患予測や治療効果の評価、個別化医療の実現において不可欠な技術であり、多くの研究がなされています。ただし、データのプライバシー問題やアルゴリズムバイアス、検証方法の確立といった課題も依然として残っています。
次に注目されているのがビッグデータ解析です。これは、遺伝子マーカーの同定や疾病の早期発見・予防に効果的に活用されていますが、データの保存やプライバシー保護、そして専門的な技術者の不足といった課題も指摘されています。
さらに、バイオインフォマティクスの進展と予測モデリングの活用も重要です。過去のデータに基づいて将来の結果を予測する統計技術は、疾病の予後予測や治療反応の予測、疾病リスク因子の特定において非常に有用です。しかし、モデルの過適合やデータセットの大規模化に伴う扱いの難しさ、そして検証方法の課題が存在します。
その他にも、クラウドコンピューティングの発展や、ゲノミクスと統計学の統合が今後のバイオ統計学に大きな影響を与えるとされています。
関数データ解析による高次元データの解析
ここでは、私がこれまで携わってきた研究の中で特に注目しているテーマについてご紹介します。近年、時間や空間に依存するデータや高次元のデータが増加し、これらのデータを効果的に解析する手法の需要が急速に高まっています。こうしたデータには、ノイズが含まれたり、測定点が不規則だったり、欠損値が存在したりと、解析を難しくするさまざまな特徴があります。また、形状や動作を記述するデータもあり、それらを正確に捉えるためには高度な解析技術が必要です。私はこれらの問題を「データ技術科学」の枠組みで捉え、研究を進めています。
上の図を見てください。これが一般的な統計科学です。母集団から取得したデータを基に有益な情報を抽出し、そのパターンを分析します。近年特に注目されているのは、経時的な変化を捉える経時測定データや、空間的な特徴を持つ空間データ、さらには脳画像などのイメージデータといった高次元データです。これには、表面データや人の動作データも含まれます。
私が取り組んでいる手法の一つに、「関数データ解析(Functional Data Analysis: FDA)」があります。この手法では、データを単なる点の集合として扱うのではなく、時間や空間の変化を連続的な「曲線」や「曲面」として捉えます。例えば、ある人物のデータを時間の経過に伴う曲線として表し、複数の人物のデータを曲線の集合として分析します。このアプローチにより、膨大な次元数を持つデータであっても、一つの関数として表現できるため、データの複雑さを大幅に簡略化することが可能です。これにより、解析の効率を飛躍的に向上させることができます。
関数データ解析は、特に高次元データや複雑なデータ構造を持つ分野で有用な手法であり、私はこれを様々なデータ解析に応用しています。例えば、脳画像データの解析や動作解析など、データの連続性や複雑性を持つ問題に対して、この手法が非常に効果的であることが確認されています。曲線だけでなく、曲面を見るということも可能で、脳画像データの解析などに適用しています。
医用データと統計モデルの開発
ここでは、私が携わった4つの研究事例を紹介します。
1つめが、胃がんCT画像データに対し、非線形効果を捉えるための柔軟なモデルを作成し、胃がんの転移データの解析を行いました。複雑なモデルは柔軟性があり、かなり複雑な構造を捉えることができるのですが、モデルを複雑にするとチューニングパラメータをうまく決めなければなりません。これが結構大変な作業で、それをうまく効率的に考えるということをしました。
2つめが脳画像の研究です。脳のどの部位の萎縮がどのようにアルツハイマーの発症に関わっているのかを見るときに、これがあまりにも次元が大きくデータ量が大きくなってしまうので、通常は一部だけ、例えば前頭葉だけを取り出して分析するというのが一般的です。そうではなく、全脳を見て分析するにはどうしたらいいかということで、次元削減という方法を使う方法を考えました。数学的なスパース推定というものを用いて次元を削減し、発症リスクの予測とそれに関連する脳部位を特定しました。
3つめは、小児科ホルモンデータの解析です。新生児のホルモンデータは、個々の体格差により平均値解析では十分な情報が得られません。そのため、個別の成長パターンを考慮したモデルを用い、精度の高い予測を行いました。
4つめが、生存時間解析です。時間依存共変量を考慮したモデルを用いて、長期的な体格変化と予後との関連性を解析しました。
今後の展望 — よく生きるためのAI of AI
今回のシンポジウムのテーマ「よく生きる」を実現するためには、様々な分野の研究者が少しずつ自分たちの研究を構築し、どこかで統合していくということが必要ではないかと考えています。そこで取り組みたいのが、各リサーチクエスチョンに対してデータ分析で必要とされる最適なデータを提案し、古典から最先端までの技術の中から分析手法を自動的に選別・分析・評価、解釈を返すまでを自動で行うAI of AI(AoA)の開発です。これは、研究者の負担を軽減しより高度な分析を可能にする仕組みです。
2024年4月に研究科に設立された統計科学研究センターでは、この目標の実現に向け、様々な分野の研究者との連携を進めています。今後10年以内に、この技術が現実のものとなることを目指しています。
医療情報へのよりよいアクセスって何だろう?
健康や病気に関する医療情報の調べ方、利用のされ方
北 浩樹 助教(東北大学保健管理センター)
医療情報、どう調べればいい?
何か疑問に思った病気があった場合、皆さんどういうふうに調べるでしょうか?どういうものを信頼しているかという統計では、テレビ、ラジオ、新聞、いわゆるマスメディアが信頼できるとされています。特に新聞が非常に信頼されています。
この2つの結果をまとめると、新聞、テレビ、ラジオなどのマスメディアは信頼性が高いと考えられているが、実際はインターネットがよく利用されているということになります。
ネット上の情報で最も信頼性が高いのは、やはり公的なサイトです。病気など、健康や医療に関する情報を得ようとするなら、厚労省や自治体、学会のホームページ、大学や国公立の研究機関、がん研究センター、循環器病研究センター、成育医療研究センターなどで調べると非常に詳しく、信頼できる情報を得ることができます。また、幅広く病気が扱われている「e-ヘルスネット」も有用なサイトです。さらに、医療従事者向けに診療のガイドラインを集めた「Mindsガイドラインライブラリ」というものもあります。一般向けの解説もあるので読んでみるといいと思います。
その他、健康食品に関しては、「健康食品」の安全性・有効性情報、薬やワクチンについては、独立行政法人医薬品医療機器総合(PMDA)、こういうサービスで最初に調べることをお勧めします。
最後にもう一つ、「eJIM」を紹介します。このサイトで特筆すべきは、トップページの右下の方にある「情報の見極め方クイズ」です。クイズが10個あり、それを読んでいくと非常に勉強になります。これを一つひとつ読んでいくと、頭の体操にもなり、これを読んだ後には情報リテラシーが身に付くのではないかと思います。
新聞紙上の医療情報、本当に信頼できる?
冒頭で、マスコミ特に新聞が情報の信頼性が高いと思われているという話をしました。では実際に信頼性は高いのでしょうか。またどのような特徴があるのでしょうか。ここで、以前私がやった調査研究を紹介します。「うつ病」そして「新型うつ病」について、三大紙(読売、朝日、毎日)の記事数を調べたものです。「うつ病」は一般的なうつ病と考えてください。「新型うつ病」というのは正式な診断名ではなく、マスコミが付けた名前なのですが、日本うつ病学会は「若年者に多く全体に軽症で、訴える症状は軽症のうつ病と判断が難しい、仕事は抑うつ的になる、あるいは仕事を回避する傾向がある、ところが余暇は楽しく過ごせる」といった解説をしています。
「新型うつ病」に関す記事は2009年から見え始め、2021年でなくなっています。ピークの2011年、2012年は、NHK『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』で報道され話題になった時期です。一般的にニュースというのは、一気にたくさん報道され、事後的に評価されることはまずありません。記事の内容については、テキストマイニングという方法で調べてみました。
左のうつ病に特徴的なのは自殺です。これは「事件を報道する」という新聞の特性だということができます。うつ病の主要な病状の一つに不眠がありますが、それはほとんど出ていません。書いてあることは間違いではないけれど、実際の病状のバランスとは異なるということは言えるでしょう。右の新型うつ病に関しては、自殺の語はなく、新型うつ病の動向を示した記事が多くありました。病状についての説明は日本うつ病学会の解説と合致しており、正確性、信頼性が高いというふうに判断できます。
新聞記事などの保健医療に関する報道内容を評価する指標が、メディアドクター研究会という団体から提案されています。科学的根拠の他にも、見出しの適切性あるいはその弊害、あおり・病気づくりといった項目があげられています。新型うつ病というのは、マスコミが作った用語ですから、もしかしたらあおりや病気づくりにあたるかもしれません。
大学生にとって必要な医療情報をどう得る?
まず、医療情報のテーマを選択することが必要です。しかし、最も重要なのは、その医療情報の正確性を確保することです。ここでは、診療ガイドラインの策定を例に、その方法を紹介します。「大学生において心疾患に関わる問診・聴取を行うことで、心臓突然死の発生を予測することは可能か?」というクリニカルクエスチョンをもとに、医療情報の収集法を具体的に解説します。このクリニカルクエスチョンは漠然としたものなので、通常これをPICO分析というのに当てはめ、「誰に対して(大学生)、何をすると(心疾患に関する問診)、何に比べて(問診・聴診を行わない)、どうなるか(心臓突然死の発生)」というように整理をします。これをもとに、医学・生物系の論文のデータベースPubMedで過去の論文を検索します。この例では145本がヒットしました。すべてのアブストラクトに目を通し、最終的には16本の論文を読んで、それをまとめたものがいわゆる診療ガイドラインになります。
大学生にとって必要な医療情報ということでは、『大学生活と健康情報』という冊子を作り、学生に渡しています。ホームページ上からダウンロードできますので、ご興味ある方はご覧ください。右側のものは今年の新入生に渡したものです。喫煙とか飲酒とか性感染症、違法薬物等々、内容を意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、新入生に対する情報提供ではこういう項目を残しています。
死亡後に利用される医療情報とは?
死亡後に利用される医療情報ですが、ご遺体があったらそれが誰かを見分ける必要があります。日本語では身元確認といいます。国際的には個人識別としています。日本では顔写真や所持品・着衣、身体的特徴などで確認します。しかし国際的には、指紋と歯科所見、DNA型の3つです。歯科所見は日本ではまだ一般化していませんが、海外ではもう常識になっています。歯は非常に硬く、いつまでも残っています。さらに精度も非常に高く、いろいろなメリットがあります。東日本大震災の際、宮城県では死者の7.6%が歯科所見によって同定されました。
医療DXでどう変わる?
国民皆保険の日本では、医療DXは基本的に国が進めます。疾病の発症予防、保険証の確認、処方箋、診断書の作成、診療報酬の請求、地域医療連携、研究開発と非常に包括的なことが行われようとしています。電子カルテのサービスでは、いろんな情報を一括管理し、どこの病院に行ってもそれがちゃんとついてまわってきます。傷病名、アレルギー、感染症、薬剤禁忌、検査、処方の6情報については、自分で確認することができます。
今年から一部稼働が始まり、2026年にはほぼ大部分で運用される予定になっているのが全国医療情報プラットフォームです。我々大学の教員にとって重要なのが、医療ビッグデータ分析です。これは保険医療点数のデータベースで、国民全体のデータを入手することができます。すでに一部やられていますが、臨床研究をするときに一番大変なのは患者さんを集めることです。これを使うと、特定の疾患の患者さんをすぐに集めることができ、使った薬もすぐに検索できます。かなり有効なデータベースになるでしょう。医療情報が広く使えるようになり、分析が進むということは、医療水準が上がることにつながります。
多文化社会で誰の健康も置き去りにしないために
メディアを通じた多文化向けの健康と医療に関する情報伝達の歴史
王 楽 特任助教(人間社会情報科学専攻)
多文化社会における健康・医療情報の問題点
文化は健康信念、病気の原因、治療法、治療に関する人々に大きな影響を与えます。例えば、西洋の工業化社会では、病気は自然科学的な現象の結果とされ、微生物に対抗する治療や高度な技術を用いた診断と治療が推奨されます。一方、他の社会では、病気は超自然的な現象の結果と見なされ、祈りや霊的介入が推奨されます。文化の違いは患者の治療遵守にも大きな影響を与えるのです。
多文化社会という言葉は、様々なエスニックが共存する社会を指しています。現代の健康・医療情報を伝達する「多文化社会」の前提は、生物医学に基づく西洋医学ではないかと思います。多文化社会において多様な文化価値観が併存する中で、健康・医療情報の伝達には多くの問題が生じます。
それには情報の誤解、情報受容の壁、文化価値観の違いなどが含まれます。例えば、アジア文化では、調和を保つことが重要な価値とされており、医療専門家の勧告に対する反対意見を避ける傾向がありますが、これは必ずしも同意を意味しません。このような文化的背景は、医療情報の伝達と受容に影響を及ぼしています。第2次世界大戦の中で、特に帝国日本の植民地支配の中では、言語情報の伝達の重要性がすでに認識されていましたが、体系的な学問としては確立されていませんでした。
そもそも旧満洲国とは?
旧満洲国はどんなところでしょうか? 1931年に満洲 事変が勃発した後、関東軍によって満洲全土が占領されました。満洲国は建国にあたり自らを満洲民族、漢民族、蒙古民族からなる満人による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念としては、日本人、漢人、朝鮮人、満洲人、蒙古人による五族協和を掲げました。
当時の満洲国政府と満鉄が様々な農村調査をやりました。その調査によると、満洲国の人口の9割以上は農村部に住み、彼らの非識字率は大体80%近くでした。農村部に住んでいた9割以上の人口が民族的職業的な区別があり、さらに住んでいた地方の差異もあり、知識程度も大きな差がありました。このような各地の特徴を踏まえて多様な宣伝工作を実施する主体が「宣撫班」という組織です。宣撫班は、政府の各民族の宣伝工作を担当する文官とお医者さん、医学大学の教授や学生たち、軍人と様々な機関に所属するメンバーから構成され、各地方政府の管轄下の農村へ派遣され、講演、映画、診療活動、物品配布などを行いました。
当時の満洲国では急性伝染病がたくさんありました。日本でも発生する赤痢や腸チフスの他、ペスト、発疹チフスなどが多発流行していました。また南満ではマラリアが多発していました。満洲には広大なペスト地帯があり、毎年夏に流行して多数の犠牲者を出すばかりでなく、交通、産業、経済などに大きな禍害を及ぼすので、伝染病の予防は満洲国建国当初から喫緊の課題でもありました。
農村部の漢族は一般的に文化程度が低いとされ、衛生思想が乏しかったので、伝染病予防のポスターやパンフレットなどによって極力啓蒙に努めていましたが、肝心の医者の大多数が漢方医で、伝染病の報告すら迅速正確に行われない状態でした。一方草原部に住んでいるモンゴル人は衛生知識が低く、病気になるとラマ僧の祈祷やラマ医によるチベット医学の治療を受けていました。人口増加率も低く民族的に衰亡の兆しさえ示していました。
統治政策としての医療衛生事業の展開
日本人は、伝染病防治の医療・衛生状態の改善を目的として、西洋医学に基づく近代医療の普及を図りました。満洲国における医療衛生事業は、民衆を懐柔し統治政策を定着させる上で都合の良い方策として見ていました。
無料で治療を提供して薬を配布するプロパガンダ活動が「施療施薬活動」です。施策の改善のため、他の活動やメディアといかに協働したらよいか模索が続けられました。農村部の宗教的な祭りにおける療施薬活動では、風邪薬と腹痛薬の袋に同じ絵が用いられ、薬名だけが異なるため、字の読めない受診者はどれがどの薬か理解できないケースがあったことから、色彩により判別できるような包装デザインに変更しました。さらに芝居やラジオ、講演、ポスターを利用することで、参詣客に施療施薬活動の存在を積極的に宣伝しました。地方政府の官僚たちは演劇の幕間を利用して、芝居を鑑賞する多数の参詣者に対して、舞台に立って医療を提供する政府側の機関、恩賜財団普済会という今の赤十字社の役割に近い組織は、普済会の意義や施療施薬班の趣旨、その場所について講演を行いました。同時に当日のラジオ放送も同様の宣伝のために用いられたほか、県政府・省政府が印刷した宣伝ビラや貼り紙、医療を提供する政府側の機関が自ら制作した貼り紙などを掲示・配布しました。
衛生映画の誕生と衛生思想の普及
衛生知識の普及のためにメディアを利用する活動は、映画上映と共同する活動から生まれたました。1932年、関東軍の施療班が北満から南満へ移動しながら、映画上映と施療活動を組み合わせた宣伝活動を始めました。
満洲事変以降、施療班は満鉄病院と奉天赤十字社とが連携し、駐屯地付近で無料診療を行いました。1937年の日中戦争勃発後は、映画と診療、薬配布と宣撫活動の規模が拡大されました。こうした農村部、様々な地方で行われた宣伝活動の実践を通して、衛生映画の必要が認識され、1936年、普済会は映画を利用した 衛生教育活動を開始しました。
一方満鉄では1939年までに、夏の伝染病流行期と秋のチフス流行期に備え、日本人と現地の中国人向けに衛生知識普及のための宣伝映画会を屋外でしばしば実施していました。地方政府もまた、地域の特性に応じた映画上映プログラムを編成していました。
これらを背景として、満洲映画協会(満映)が満洲国個別の衛生映画の製作方針の策定を始めました。満映がそれまで製作していた衛生映画の主題は、主に、アヘン撲滅、結核予防、社会道徳などの教化映画で、衛生映画の製作は満映による教化目的の文化映画の一部として独立的に企画されるようになりました。満映の衛生映画が誕生する1940年までは、主として日本本土の文化映画が利用されていました。中には、日本本土の衛生映画だけでなく、フランスの衛生映画も入っていました。これらの衛生映画には、満洲国の実情に必ずしも適合しない、胃腸病や呼吸器病など満洲国農村部の特有の問題を扱わない、映像の素材や映画の構成、表現技法が満洲国の文化に適合しないなど、様々な問題点がありました。
満映では、こうした問題を解決するため、満洲国の社会状況に基づいて毎年必要に応じて映画のテーマを選択し、衛生知識の普及と防疫宣伝工作の一環として、具体的な地域の問題も取り上げました。観客に合わせたわかりやすい表現方法が採用され、『虱はこわい』という映画では、当時の世界で最も進んだアニメーション技術が取り入れられていました。
視覚メディアによる防疫宣伝
1940年、満洲国の首都でペストが発生しました。現地の民衆の防疫への協力が不足、日本人の防疫工作員に対する信頼も薄く、ペストの感染拡大が深刻化しました。そこで交通が遮断された中、住民の協力的姿勢を育てるべく、主に、文字、漫画、図解、歌謡、講習会を用いた防疫の宣伝活動が行われました。政府は、非識字層向けに、現地の学校教員を動員してネズミ撲滅の徹底を促す漫画、ペストの伝染と家庭衛生について啓発する漫画、マスク装着方法を説明する漫画などを描かせました。さらに、図解で非識字層の注意を喚起して、ペスト菌の感染経路について説明しました。
同時に、政府は現地で流行していた『陽春小唄』を利用し、これに歌詞をつけてペスト撲滅曲として現地の民衆に普及させました。これは、当時大ヒットとなった映画『東遊記』(製作/満映・東宝)の歌で、当時のアジアのスター・李香蘭が主演していました。
政府は、漢族が集住する村落で、伝統的な漢方医と仏教の概念を用いながら、現代医療と鼠の撲滅に対する抵抗を戒め、鼠の駆除の必要性とペストの脅威について理解を促しました。満鉄映画製作所もこの防疫活動を記録し、1940年9月に記録映画『ペスト防疫状況』を製作しています。
多文化社会で健康、医療情報をよりよく伝達するために
旧満洲国では、物心両面、つまり物理的・物質的と心理的両面でのプロパガンダとイデオロギーを組み合わせ、満洲国の多民族多文化向けの健康衛生医療知識の情報伝達のメカニズムが形成されていきました。どのようにすれば、多文化社会で健康、医療情報の伝達をよりよく実現できるのか?旧満洲国の事例から考えられるポイントは以下の点だと考えます。
●受け手の出身地域の特性に適したメディアの利用
文化に適合したメッセージと多言語の使用
●多文化社会における健康・衛生・医療情報伝達
これらは、双方向的なコミュニケーション、つまり受け手との双方向的なコミュニケーションを通して、フィードバックを取り入れて、適宜情報を更新・改善することで効果的な教育が実現すると思います。さらに多様なメディアの活用も必要です。外国人としては、言語の壁もあるため、どれだけ理解できるかがまず問題で、やはり最先端のメディア、映像メディアでの対応が重要ではないでしょうか。より多くの受け手の興味を引き、効果的に情報を伝えることが必要だと思います。
最適なアミノ酸配列の選択をムダなく効率的に
バイオ医薬品の設計を加速する情報科学
梅津 光央 教授(東北大学 工学研究科バイオ工学専攻)
タンパク質を用いたバイオ医薬品
私が開発に取り組んでいるのは、バイオ医薬品の一つであるタンパク質医薬です。バイオ医薬品は、まだ一般の方には馴染みがないと思いますが、下の棒グラフの赤い部分がバイオ医薬品で、全体の医薬品の中で開発の占める割合が増えているものです。
医薬品全体の市場は100兆円を超えるぐらいですが、バイオ医薬品は現在大体45兆円ぐらいの市場を持っています。さらに世界の売上Top10中6品目はバイオ医薬品に分類されています。もう一つのグラフを見てください。
このグラフの白い部分は従来から使われ今でも開発が進められている低分子薬、化学製品です。分類としてはこれがまだ主流です。グラフの中で色のついているものはほぼ全部バイオ医薬品です。その中には、最近よく話に出る抗体医薬、コロナでよく聞いたワクチン類、最近では核酸医薬というものも入ってきます。具体的には有機合成ではない方法で作られるものが大体バイオ医薬品になります。一般的に生物の体の中に存在している化学物質を模倣したものがバイオ医薬品に入ります。
私が中心にやっているのが、タンパク質医薬というものになります。低分子薬、化学合成品の医薬品と何が違うかというと、物質としては大きさが違う。低分子医薬は大体500ぐらいの大きさですが、抗体医薬になると大体その300倍ぐらいの重さ、大体15万ぐらいの巨大な分子になります。作り方も化学合成のような化学反応で作るのではなく、細胞工場みたいに、生物の細胞を使ってつくり、分子量も大きいため高コストになっています。
一方、薬としての標的選択性という点では、全部が全部ではないですが、統計的にトータルに見ると、バイオ医薬品の方が非常に高くなってきます。選択性が高くなると副作用が少ない薬が作りやすくなるということになります。
抗体医薬は基本的にはタンパク質という物質からなっています。バイオ医薬品の中で実際に現場に投入されている品目と売上高が高いのは、タンパク質をベースとした抗体医薬、そしてタンパク医薬になります。
そもそもタンパク質とは何だろう?
このタンパク質はどういうものかというと、英語で言うとプロテイン、DNAが持つ遺伝子情報から初めてできる「機能を持つ分子」になります。遺伝子の情報を機能という形に具現化した形にしたものがこのタンパク質というものになります。
タンパク質は20種類のアミノ酸がある一つの法則でつながった分子で、非常に単純な構造をしています。20種類のアミノ酸はいろいろ異なった手を持っており、それがいろいろな組み合わせで、一つの法則でつながってまっすぐなひも分子になります。なぜひもみたいな分子が機能をもつかというと、まずひもみたいなものが丸まっていきます。丸まって形をもつことによっていろんな機能をだすことができます。なぜひもが丸まるのかは、例えばポケットに糸くずなんかが入ったりしてちょっとだしてみると、大体丸まっています。ひもの状態っていうのは自然と丸まるような形になるのです。
アミノ酸同士が結合してひもができます。ひもは自然と丸まるようになります。この丸まり方というのは、並び方によっていろいろな丸まり方をするんですが、そうするとひもの状態では非常に遠い位置にあったいろんな種類の手が、ある特定の場所に特定の手が集まって「場」を作ってくれる。この場がいろんな機能をもってくれるのです。
タンパク質の設計とは?
次に、どのように自分の欲しい機能をデザインするかというところですが、ざっくりした言い方をすれば、20種類のアミノ酸をどのように並べるか、です。言うのは簡単ですが、実際その中で自分の本当に欲しい機能を持つ並び方を見つけるのは非常に難しいところがあります。例えば300個のアミノ酸が並んだもの、それはどのような組み合わせがあるかと考えると、10の390乗です。サハラ砂漠の砂の数と比較してみましょう。計算上ですが、大体10の23乗あります。ですので、自分のほしい機能を持つアミノ酸の並び方、並んでいる配列を実際に手に入れるのは、サハラ砂漠の砂から欲しい砂粒を見つけるよりも難しいということになります。
その中で今まで人類はどういうことをやってきたかというと、2018年にノーベル化学賞をとった進化分子工学がかなりメインに活躍しています。これは、生物が進化した過程を試験管の中で模倣して見つけてくるという方法です。簡単に言うと、いろんなアミノ酸の異なった配列を作っていって、それから自分のほしい機能を持つものだけが生き残るようなそういう操作を試験管中で行うということになります。
しかし、進化分子工学で作製可能な変異体数は大体10の10乗、100億個ぐらいです。これはせいぜい8個のアミノ酸の組み合わせぐらいしか網羅できないくらいの規模です。さらにもう一つ問題点としては、実際作ったのはいいけれど、それがどのような機能や特性・特徴を持っているかを実験的に実際調べる場合、大学の研究レベルですと大体1,000個ぐらい、会社のようにいろいろ高価な装置を使った場合でも1万程度なので、とても全部を調べることができないということになります。ですので、実際に自分のほしいアミノ酸配列のものを見つけるというのは、地図を持たないでトライアンドエラーを繰り返し、運よくほしいもののところにたどり着けないか、そういうことをやっているわけです。
進化分子工学に情報科学を組み合わせると…
その中でちょっと私の方で情報科学を使うとこうなるんだというふうにイメージさせていただいているのは、ほしいものにたどり着くときの道先案内人、地図を提供するこういうところが情報科学でできたなら、道に迷うことなく、それほど労力やコストをかけることなく、ほしいものにたどりつけるのではないのかということです。もう少し簡単に言いますと、今まで10の10乗個、100億個作って評価しなければいけないといったところが、100個ぐらいで評価すればもう地図ができて、道先案内ができてほしいものにたどり着くよ、ということです。機能評価も1万個使わず100個でできるよと、そういう世界をつくれれば、ここにうまくたどり着く。つまり、少ない実験量でAIが道先案内をする世界、こういうところにまさしく情報科学が役に立つのではないかと考え研究しています。
それをもう少しイメージさせていただくため、上の図を見てください。スタート地点は何かのアミノ酸が並んだタンパク質を考えてください。大体現在だと非常によい設備とかを使えば、並び方が似ているような配列を1万個ぐらい作って、その中でいいのを見つけて、またそこから1万個ぐらいつくって上っていくという方法があります。ただ、もし地形図で見たとき、機能の大きな谷の配列があった場合には、本当の山にはたどり着くことができないということになります。
AIを組み合わせてどうやるかというと、まずまんべんなくいろいろな配列を作ってデータを取ってあげます。そのデータから、AIに実際にこの辺りの地形はどうなっているのかを予測してもらいます。そうすればあとは、予測通り実際に作って飛躍的に飛んで、そして目標にたどり着けるのではないか。こういうところをやれば、少ない実験場でたどり着けるのではないかというイメージです。
元々もっていない機能も創出できる?!
そして今、一つ新しい世界として、生体の中(自然界)ではものに結合する機能はないんだけれど、小さくて非常に作りやすいものに、結合する機能を与えて新しい薬にできないかという世界があります。実際にどういうふうにやるかというと、ここはまさしく進化分子工学という世界です。ものに結合する機能を持たせようと思ったときに、アミノ酸の配列を変えたものを10の10乗個、100億個ぐらい用意して、実際にほしいものだけ生き残る操作をして持ってきます。この方法ではうまくいくときといかないときがあり、いかないときの方が圧倒的に多いです。その中で情報科学、AIを使うとどうなるかというと、大規模な配列解析技術というものを使って大体10の7乗、1,000万ぐらいの配列を読み、この中で何が起きているかという情報をもらってきます。それを教師データとして機械学習をさせると、本当にほしいものだけがメインにできてきて、さらに機能を持つということになります。つまり機械学習は、人間の目に見えない情報を抽出することに非常に長けているということなのです。
医薬品をみなさんのもとに届けるには非常にたくさんの工程が必要です。大体10年ぐらいかかりますし、上市できる確率は大体2万5,000件に1件です。ここで特に重要なのは、臨床に入ってしまえば、大体10個に1個から3個ぐらいは上市化までたどり着くことができるということです。しかしたどり着くまでには非常に失敗が多い。AIを使い、確率を少しでも上げることによってみなさんに薬をお届けする、そんな世界ができたらと考えています。
創薬の世界を革新する新たな技術とは?
目には見えない分子や組織の構造の情報を捉え、創薬する
井上 豪 教授(大阪大学 薬学研究科創成薬学専攻)
除菌消臭剤MA-Tを活用したイノベーション
現在日本の全ての航空会社で使われている除菌消臭剤があります。これが抗がん剤にならないかということで、中身の成分情報が提示されないまま、「謎の水」として大阪大学に学術相談が持ち込まれました。おそらくアポトーシスでも起こったのだろうと思い、謎の水の中の活性種の存在を予言しつつ、化学の専門家に相談しました。すると、中身の成分から発する活性種の生成に関する反応機構が分かりました。中身の成分(亜塩素酸イオン)そのものはヨーロッパの飲み水の消毒剤と同じものでした。ヨーロッパは硬水なので金属イオンが関与し、亜塩素酸イオンが1ppm入っていると水の消毒剤として使えるというわけです。これが除菌消臭剤にも入っていましたが、相談した化学屋さんのもとで、どのようにして活性種が効率よく出てくるのかというメカニズム解明が行われました。3段階で活性種が生成するのですが、その第1段階が化学平衡なので、活性種は生成されては消え、消えては生成して、常に一定の濃度で保たれます。一方、全て水が乾いてしまってもNaClO2の塩として残り、水を加えるとまた化学平衡が始まるので、半永久的に活性種を生成し続け、水の中で菌やウイルスをずっと待ち続けています。スタートのイオンの濃度と化学平衡の平衡定数の掛け算で活性種の濃度が決まるものの、化学平衡が使われている関係で反応する相手がいないと活性種は消失しますので、水の中でずっと反応相手を待ち続けるシステムになっており、安定だし、安全だし、安心だということで、非常に素晴らしい除菌消臭剤となっています。あくまでも水の中でのみ活性種が生成し、相手を待ち続けて必要量のみ生成するということからマッチングトランスフォーメーションシステムと名付け、その省略形で、MATというふうに名付けました。これが日本の航空機全てで使われている除菌消臭剤となっています。
このメカニズムがわかりますと、これにあえて塩酸を加え、ClO2のガスを発生させ、光を当てるとドリーム反応と言われているメタンが酸化してメタノールとギ酸が生成する反応が見つかりました。これは全ての天然ガスを全て液体燃料に変換できる技術となりますので、日本の近海に眠っている100年分のメタンハイドレートを全て液体として取り出すことのできる非常に重要な技術で、少しのCO2も出すことなく液体燃料に変えることができます。
元々いただいた抗がん剤にしたいという話に関しましては、8年掛けて膀胱がんの患者に対する医師主導治験も始まっています。また、安全だということが証明されましたので、続々といろいろな企業さんがこれを除菌消臭剤として売り出すようにもなりました。
先ほどのドリーム反応ですが、炭素に酸素をつけるという反応で、1%でもメタノールができるとNature誌に掲載されるような困難な反応です。というのは、CとOが結合するということは燃えるということで、簡単にCO2が発生してしまうということが起こってしまうわけですが、これは100%液体燃料に変換することができます。ということで今、北海道で500頭分の牛から出てくるバイオメタンガスを全て液体燃料として取り出す技術が完成し、稼働を始めています。
ドリーム反応は、これを単にメタンガスの液化などに利用するだけではなく、プラスチックの表面にも利用することができるということを発見し、ポリプロピレンの表面に酸素官能基を入れることでメッキができたり、電気を通したりができるようになりました。また、Mgイオン電池用のセパレータもできました。2019年、旭化成の吉野先生はリチウムイオン電池のためのセパレータの開発でノーベル賞を受賞されましたが、この技術で表面を改質してあげるとマグネシウムイオン電池用のセパレータがすぐにできてしまい、電気が2倍量貯められるような電池も開発が行われています。
クライオ電顕のためのツール開発
いろいろなプラスチックの表面酸化修飾というのができましたので、大きなイノベーションが起こっているということなんですが、私は元々タンパク質のX線結晶構造解析を行っていた研究者ですので、何とかこれをタンパク質の構造解析に誘導したいということがありました。クライオ電子顕微鏡を使った解析も2017年のノーベル賞の対象となりましたが、ここでは、薄い氷の中にタンパク質を閉じ込めて、タンパク粒子の写真を撮り、その写真を重ね合わせて3Dに構築することで解析が可能です。X線結晶構造解析で必要だった結晶化を行う必要がないということで、たちまちタンパク質の構造解析の主流になりつつあります。以前は全世界で大体年間1万個ぐらいのX線結晶構造解析が行われていて、クライオ電顕を使った構造解析数は2017年では500件ぐらいだったものが、今は5,000件、Ⅹ線結晶構造解析に対して半分ぐらいの数がクライオ電顕を使って構造解析が行われるような時代が来ています。ただし、問題もあり、この薄い氷を作るときにタンパク質が重なり合うと画像処理ができないので、タンパク質の濃度調整などサンプルの調整に時間がかかっていました。一番の問題は、究極の水の表面のところにタンパクが吸着され、しかも、優先配向と呼ばれる粒子の配向性に偏りが生じるという問題です。これを回避する方法はないかというのをずっと考えていたときに、先ほどのプラスチックの表面を改変できるという新しい技術をグラフェンという炭素1個分のシート状の化合物に適用し、化学修飾を行ってグラフェン膜上にタンパク質を固定化する技術を開発しました。これを用いると、気液の界面のところにタンパク質が吸着されてもそれを洗ってしまうことができ、しかも、濃度が濃くても薄くてもタンパク質を結合することができますので、濃度調整も不要とのことで、非常に早くサンプル調整ができるようになりました。
従来法では1ヶ月ぐらいサンプル調整に時間がかかるということだったんですが、私達のエポキシグラフェングリッド(Epoxy-Graphene Grid; EG-grid®)と呼んでるんですけれども、これをあらかじめ調製しておけば、タンパク質を乗せて洗うだけで調製できるので10分から20分ぐらいでできるということで、本当に楽にタンパク粒子の画像を捉えることができます。
クライオ電子顕微鏡でGroELというタンパク質を撮影した画像をお見せします。左側が従来法で、薄い氷の中にタンパク質が閉じ込められていますので、ピントがいろいろずれていると思います。右側が私たちの固定化法で、1枚のグラフェンというカーボン膜の上にタンパクが吸着していますので、みんなピントが合っているのがよくわかると思います。しかも、10分の1の画像数で済むため、大幅な効率化が実現しています。
AIとの連携で新たな創薬手法開発の試みを
話をもう少し構造ベースに戻してみたいと思います。2010年から16年までの間に、米国の市場に出てきた210個の薬を調べると、その内184個がタンパク質の構造を何らかの形で使って医薬品になっています。この184個の薬は約6,000個のタンパク質の構造を使っていますので、こういういろんな情報が非常に重要になってきたということになります。今22万個のタンパク質の構造がデータベースに登録されていますが、薬を作りたい、あるいは自然科学を解明したいという、そういう欲求のもとにタンパク質の構造がどんどんとデータベースの中に積み上がっています。割合を見ますと今18万件がX線、2万件が電子顕微鏡ということです。
これだけタンパク質の構造が出てくると、これを使って構造予測をするようなそういうAI技術も発展しまして、これが構造ベースに我々の健康医療を考えるそういう構造生物学のブレークスルー技術になっています。今は、鍵と鍵穴の関係で薬が作られる時代になってきています。ターゲットさえ見つかれば非常に良い薬ができる時代が来たということは、結局ターゲットを探索するところが勝負になってくるということです。
私達もここに関して最近AIとの連携というところを始めておりますので、少し紹介したいと思います。これはトリプルネガティブ乳がんを抗体で染めた画像です。他の臓器はほとんど光っていなくて若干精巣とか卵管とか、こういった生殖器官にも少し発現しているみたいなんですが、今ターゲットとしているタンパク質に関しては非常によく検出できる、そういう抗体を最新のAI技術を駆使して取得できています。これは遺伝子解析とかプロテオミックス技術ではなかなか出てこないのです。こういったことがトリプルネガティブ乳がんで起こっています。この抗体を使えば、他の臓器、膵がんでも胆管がんでも検出が可能です。メカニズムはまだ分かりませんが、多量体化が起こるようなことが起こっていると予想されていますが、これは遺伝子解析とかプロテオミクス技術では検出できない、だからアンメットメディカルとして残っていると考えられます。
抗体の見つけ方に関しては、前向きコホート研究とは全くの逆向きで疾患細胞からターゲットを見つけてくるというAI技術になっています。写真はそういったやり方で見つかるんだということを示しています。この抗体はトリプルネガティブに関しては50%ぐらいの患者さんでおそらくこれは効くだろうと予想されています。その抗体に抗がん剤を結合させて、抗体にこの抗がん剤を患部に届けてあげるというDDSを行うと、化合物単独では24×10‐3 mg/kgで投与しないと効果がないのに対し、その2,000分の1ぐらいの濃度で効率よく患部に届けることができ、11日間で癌が消失しました。30日、1ヶ月たった状態ですが、小さく抑えたまま保つことができていますので、やはりAI技術を使って新しい抗体を探索し、医薬品の開発を進めて参りたいと考えています。
bioRxiv 2023:2023.02.23.529685. doi: 10.1101/2023.02.23.529685)
パネルディスカッション
情報科学が描く健康長寿社会の設計図
モデレータ 西 羽美 准教授(応用情報科学専攻)
西
「情報科学が描く健康長寿社会の設計図」というタイトルで、パネルディスカッションを行っていきたいと思います。健康長寿社会はすでに実現しているような雰囲気もあるわけですが、もちろん今でも治らない疾患とかもありますし、コロナのように突発的な伝染病があったりもします。「情報科学に何をできるか」というのは、先生方みなさん普段ぼんやりと考えていらっしゃるのではないかと思います。例え健康寿命を少しでも延ばそうとする時に、情報科学がもっとこうなってくれればこうなるのに、今これが本当に足りないというようなポイントが先生方のそれぞれのご専門であればぜひ教えていただきたいのですが…。
木下
ITのテクノロジー、とりわけ生成系AIが出てきてやはり世の中が変わったというふうに思います。先ほど井上先生が質問に対するお答えの中で話しておられた「イノベーションにとって人とのインタラクションが重要」というのは私も思っています。というのは、情報科学というのはとてもよいテクノロジーで、いろいろな問題解決に使えるというのは今日のお話も含め、みなさん感じていらっしゃると思います。おそらく10年前にはなかったものが今スマホの中にいろいろ入っていて、生活が変わるぐらい大きなインパクトがあって、ある意味人間の状態にも影響を与え得る非常に大きなテクノロジーだと思います。その一方で、「イノベーションという点では情報科学にはまだ足りないところがある」という井上先生の言葉はとても重要だと思います。リアルワールドに到達するためのラストワンマイルを情報科学は持っていない。そこで重要になるのが、梅津先生がおっしゃっていた「いかにやることを減らすか」という視点、これが情報科学のやれるところで、それまで100個やっていたのを2、3個で済むというふうにやることで、創薬に関して言えば、10年で1個しか新しい薬ができなかったものを、毎年1個ぐらいというようにスピード感を上げる、そんな未来ができるといいんじゃないでしょうか。そういう意味で、情報科学がリアルワールドにどう問題提起をするのか、それも人間同士がきちんと対話できるような問いかけをしていく、そんな情報テクノロジーが出てくるといいのではないかと思います。
西
今リアルワールドでという話がありましたが、それ乗り越えて新しいものやイノベーションができてきたとき、それを社会に広めていく必要があるのではないかと思います。できたものを社会に広めていく際、どのようなアプローチが可能なのか、この点について、北先生と王先生からコメントをいただきたいのですが…。
北
分かりやすい例として生活習慣病を考えてみたいと思います。この発症に至る原因は、文字通り生活習慣にあるとされています。生活習慣というと幅広い習慣を指していて、問題のある生活習慣の全てを社会に伝えることは大変です。しかし、研究から得られた生活習慣病の予防に関する情報を社会一般に伝え、啓発することは非常に重要です。では、どのように伝えるか。一つの手軽な解決策は、スマホなどで簡単に検索できるシステムを作ることです。日常的に啓発することも大切ですが、本人に関心がないときでは効果が上がりにくいでしょう。本人が関心を持った時を捉え、その時に効率的に正確な情報を伝えることが重要です。ここで役立つのが情報科学ではないでしょうか。生成AIを使って的確に質問に答えたり、重要な点を指摘したり、注意すべきことを伝えたりすることで、関心を持った時に的確な情報を提供できます。これにより、生活習慣病をはじめとする多くの病気の予防につながり、健康長寿社会の実現に寄与すると考えます。
王
現在の生活習慣が自分にとって最もふさわしいものなのか、生活習慣を改善すればよりよく生きられるようになるのか、それを考えるための判断基準、より多様な健康に関する情報が必要だと思います。それは、多様な文化をもつ人々にとっても参考になる情報であることが重要です。今はAI技術がかなり進み、様々な文化における健康に関する情報を世界のどこにいても簡単に入手できる環境が備わっています。健康長寿社会の設計図の中において、メディア技術の発展とメディア利用の方法がより重要視され、政府だけでなく研究機関の方からも人々に対してもっと発信していくことができれば、社会全体の健康、ウェルビーイングの実現につながるのではないかと思います。
西
北先生からは検索しやすいシステムの必要性、そして王先生からは多文化に対応する情報の個別化も大切だという話がありました。荒木先生にお聞きしたいのですが、自分で健康情報を取るとかあまりしたくないという人でも、センサーか何かを着けてデータを取り、モデル化して、それぞれの文化、人種や民族と照合してということは可能なのでしょうか。
荒木
先ほど「AI of AI」について質問がありましたが、その答えの中で「人々がより快適に過ごせるように」という話題に触れました。ここで言う「快適さ」には、健康的な生活の維持も含まれています。例えば、住宅や職場に設置されたセンサーが体温や心拍数、ストレスレベルをモニタリングし、個々人の体調や気分に応じた環境調整ができるシステムを考えることができます。温度や湿度の最適化、適切な運動や休息の提案、さらには食事や生活習慣に関する個別アドバイスも、各人の文化的背景や生活スタイルに基づいて提供されるでしょう。このようなテクノロジーの組み合わせにより、健康管理が自然に行われ、個々人の健康寿命をサポートできる未来が見えてきます。
西
スマホなどのプッシュ通知でこれを読むようにとか、そんなサービスのある未来が来たら、それはそれでかなり面白いかなと思います。 さて、これまでのお話を聞いて感じるのは、個別化がやはり重要なのではないかという点です。イノベーションや創薬の話に戻ると、現在の創薬っていうのはそれほど個別化というところにはたどり着いていないのではないかと思います。今後情報科学がさらに発達し、AIがすごいものになったら、私のためだけに特別に薬を作ってくれるとか、そういったことが可能になるのでしょうか。梅津先生、井上先生いかがでしょう。
梅津
薬の現場で言うと、その薬が実際どれだけの市場があるかというのを製薬会社はどうしても見てしまいます。例えば脳腫瘍などは深刻な病気ですが、国内では患者が少ないというところでなかなか進まないという状況があります。その点、国においては希少疾患に対してというところが出てきています。個別というふうに考えたときに、一番あっている薬のかたちはタンパク質ではなく、分子としてつくりやすい核酸をつかった遺伝子治療になるのではないでしょうか。情報科学の力で分子を設計できたとしても、それがリアルワールドで事業として見合うコストでつくれるか、というところが重要になってくるでしょう。
井上
私は必ずその方向にいくというふうに考えています。最後に紹介した方法を使い、若い細胞から順番に1年ごとにアルパカに打つと、少しずつ表面の細胞が変わってきます。それを全てデータベース化しておくと、自分の細胞を打ったときに、あなたの細胞は何歳の細胞ですよというのがわかわかるわけです。その進行具合は遺伝子と、それから生活習慣の両方のリスクファクターがかかって進行しているのだと思います。おそらくですが、糖鎖修飾だとか、あるいはいろんな細胞表面で形が変わっているというのが微妙なシグナルになっていると。こういう方法を使うと、今日紹介したトリプルネガティブだけではなく、胆管がんも肺小細胞がんも甲状腺希少がんも、すべて抗体は見つかっていますが、そういう細胞表面を認識するような方法でうまく見つかるんだということを考えると、ゲノムの情報と照らし合わせるとか、それから生活習慣と照らし合わせると加速する、加速しなというのが予想できるようになる。そうするとあなたの遺伝子タイプはこうなので、非常に早いですよとかゆっくりですよとか、そういった情報が取れるといろいろな診断ができるのではないかと考えています。がんがどんどん進行していくという場合に、いろいろな細胞の動きを止めるということであれば、遺伝子治療がキーになるかなと思いますが、生活習慣および遺伝子のリスクファクターでゆっくり進行するような疾患等の場合は、少なくとも細胞表面では形が変わっていくというのをうまく見つけることができますので、東北メディカルバンクとの連携について私はとても期待しているところです。どういうリスクファクターがかかると脳細胞でも何か形が変わるといったところが見えるんじゃないかというところを実研究としてやってみたいと考えています。私がプログラムスーパーバイザーを務めるAMED(国立研究開発法人 日本医療研究開発機能)の大きな創薬プロジェクトでは今、大型装置やデータベースのプラットホームの整備などを進めています。文部科学省でも「革新脳」と言われる脳科学の大きなプロジェクトが年間60億円×10年という規模で走るわけですが、その中で、どういう遺伝子情報と生活習慣で細胞表面が変わるのかといったところはサイエンティフィックに非常に重要な研究だと考えています。そういうことがわかっていくと、診断にも使え、それがひいては個別化医療につながっていくのではないかと思います。
西
ありがとうございました。パネルディスカッションの最後に、会場のみなさんからの質問を受けたいと思います。
会場A
梅津先生のスライドを見ての質問です。私は統計物理をやっているものですから、そうするとどうしてもフリーエナジーのランドスケープというのはこんなふうになっています、この辺のところに谷があり、この谷を越えて次の山まで行くのにこういうことをしなければなりませんよ、ということをよく手書きでは書くんですが、しかしそのランドスケープを実際に書いてみせた人というのはなかなかいないということがあると思います。実験の立場から言うと、ああいったランドスケープみたいなものを例えば機能という立場とか、そういうものできれいに書くことができると、ナビゲーションみたいなものができるのかなというふうに思います。そういったものは、理論の立場ではやはりまだまだハードルが高いかなと思っていますが、実験のお立場からはいかがでしょうか。
梅津
酵素ですが書いてみたことはあります。無作為につくるというよりは、実際に自分で作成した教師データと、そこから機械学習をやって予測された変異体の実験データをもちいて作成しました。それらのデータを主成分解析して2次元プロットを作成したところ、使う教師データによって山が2つ違う方向に上っていくっていうのがみえました。その主成分解析のプロットグラフを1つの配列空間とイメージするなら、2つ山が並んで、ここに山があってここは何もないところだというところは描くことはできました。
会場A
製薬の立場からだと、そういうランドスケープみたいなものは公開できるような形になるんでしょうか、それともやはりそれは企業秘密だからというような形になるのか、どちらの傾向になりますか。
梅津
製薬には安全なものでも出さない傾向があるので、基本的には出さない方向になるしょうが、ただ考え方によっては主成分解析をどのようにやったかが見えなければ、こういうタンパク質に対して主成分解析をやると、こういうふうに分布として見えたとか、そういったことが多分ブラックボックス化されるので、そういう見せ方でなら出してくれるのかなとは思います。
会場B
全くの専門外だったのですが、興味深い話を聞かせていただきありがとうございました。このイベント自体確か10年近く前から開催されていて、最初の頃は機械学習やAIといった話はほとんどなかったと思います。実際には、例えば線形近似とか、いろいろな形で数学の一部のツールとして機械学習を使っていたと思いますが、AIという名前では出ていませんでした。この先10年ぐらいを考えたとき、情報科学がどんな道具として使われているか、理想や希望、方向性みたいなものはあるでしょうか。
西
一言ずつで結構ですのでみなさんにお答いただきたい質問だと思いますが、いかがでしょうか。
木下
AIという言葉は、流行って廃ってを繰り返してきたので、今回もまた何回目の流行りなんだろうと思っていました。それが生成AI、特にチャットという形でインタラクションを始めた途端に化けたのではないかと思います。テクノロジーは変わってないのだけれど、人とのインタラクションの仕方が変わり、それが研究者の外に出たことによって、流行りが一気に社会実装につながったのだと思います。テクノロジーというのはやはりそうあるべきで、先ほど情報科学が最後にリアルワールドに出ていくということを申し上げたのもそれに近くて、それを私は医療や健康産業の分野でやりたいなと思っているんです。机の上でやる研究も重要で、それが気がついたら社会に出ているというのが理想像なんですが、やはり基礎から応用までをやっている研究者が束になって、最終的には社会実装につながっていく、それがテクノロジーとして当たり前になっていくような、そういう情報科学の研究ができるとうれしいなというふうに思っています。
荒木
私は、もうこれからはフュージョンとウェルビーイングだと思っています。複数の研究テーマ、研究者、専門がフュージョン(融合)して、そしてウェルビーイングに貢献していくことができたら、それが情報科学の一つのあり方でもあるのかなと思います。
北
AIをチャット形式で使うようになったことは画期的でした。これにより、AIは普遍的な技術として確立されたと思います。今日の話題もそうですが、情報科学は当然重要です。しかし、今後はそれに加えて人文科学系の研究がさらに進むと考えています。国籍や社会的背景が異なる多くの人々が世界中で研究を行っていますが、そこには普遍的な真理が存在します。私は今後、AIが人文科学の分野での研究に寄与することに非常に関心を持っており、その分野がさらに発展していくことを期待しています。
王
AI技術などの発展は、社会における情報格差の解消につながるのではないかと思います。しかし全部がメリットではなく、デメリットもあると思います。そもそも一般人の日常生活の中でどのような場合にAI技術を使うのでしょうか。iPhoneとかChatGPTを購入するには一定の経済力が必要で、そもそも経済資本と社会関係資本の足りない人がAI技術を日常生活の中で本当に使えるのでしょうか。経済力が弱くAI技術を購入できない人は、情報を収集する力も弱くなってしまうのではないか。そもそもAI技術の背後に存在するのが一種のアルゴリズムで、それを支配する経済的な権力も存在していて、AI技術を提供する側から見ても、AI技術を使う側から見ても、将来の情報社会は一種の情報帝国主義になる危険性があるのではないかと心配しています。AIがもたらすメリットだけではなく、ネガティブな面も一応念頭に置いて考えておいた方がいいのではないかと思います。
梅津
私はモノづくりという観点からお話しさせていただきますが、そういう立場からすると、AIを使わないやり方というのはないと思っています。やはり一番大きいのは計算機のパフォーマンスです。それが高くなったので、今までやれなかったことが簡単にやれるぐらいの速度になってきたといったところがあります。特にバイオの方ではいろいろデータが貯まってきているところがあるので、やはりそのデータを使えるといったところがあって、さらに計算量が上がったために、実験する側、モノをつくる側としても使える程度の精度になってきたというところがあります。現状ではまだ、実験する側が常にある程度そちらに寄り添い、そちらに合うようなやり方をしなければいけないのも事実ですが、やはり今まで人間が経験的にやってきたようなものに比べれば精度が高い結果が得られているので、おそらくバイオの世界の10年後とかは実験量がものすごく減っている、そんな時代になっていると思います。
井上
不老不死を願ってみたり、生と死というのは人類にとって永遠のテーマです。我々はどうしても死から逃れることはできないですし、死が悲しいというのは100年後も同じに違いありません。それを克服しようとして、これまで人類は英知を絞りイノベーションを起こしてきたということだと思います。それを考えると、やはりできるだけギリギリまで健康でいたいとか、あるいは死をできるだけ後ろに持っていくようなやり方とか、そういったイノベーションは必ず起こりますし、そのためにみんなが協力し合う中で、実験、ゲノム、タンパク図など、そういったいろいろなことが全部データベースになっていく。それによって、いつ頃病気になりますよといった予測だとか、そういったことがわかる社会がやってくるのかなというふうに思います。薬で死を遅らせる人とそれができない人の間に格差があるというのも確かにそうだとは思いますが、我々サイエンティストとしては、どういうメカニズムでなぜ人が死ぬのかとかいう問題に関してはずっと研究が進むだろうと私は思います。
西
先生方、そしてご参加いただいたみなさまありがとうございました。これでディスカッションを終了とさせていただきます。